「【アイドルマスター】3A07 〜Memories are here〜」感想-その1

一晩考えて、感想を書くことにした。


凄すぎる作品は感想がつかないという話をどこかで見た。
自分でも書いていいものかどうかひどく迷った。
人気がある作品は褒めても批判しても炎上する危険性が多い。大切に思っている人も多いから、見当違いのことを書くと人を傷つける可能性もある。


でも、こんな愛の溢れた作品を見せてもらって、なにも返すものがないというわけにはいかない。
物書きのはしくれとして、批判であろうと感想はうれしいものだと思っているし、3人のP達がこの記事を目に止めることがあれば、少しでも「ありがとう」を伝えられればと思うので、覚悟を決めて書いてみます。


書き手はニコマス暦2年半ぐらい。動画製作経験なし。映像や音楽についてはそれほど詳しくなく、せいぜい週マスにランキングされる動画を一通りチェックしている程度なので、気の利いたことは書けません。動画の中で自分の印象に残った部分を順を追って解説していく感じです。


この感想はネタバレ満載なので、動画未見の方はまず最初に動画を見てください。
初見コメ非表示、最大画面推奨です。


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0:00 「初見コメ非表示最大画面」のコメントに助けられた。最初の数秒であまりにも多くの「初見コメ非表示」があったので、「これは何かが起こってる!」と感じて、コメントをオフにしてよかった。


0:18 最初あずささんが階段を下りてくるところでぎょっとした。フルスクラッチという情報を知らなかったので、アイドラのどこかから持ってきたのかと思ったけど、Pが3Dモデルとして出てきたときに、何が起こっているのか認識するのに数秒かかった。
1週目の中盤まではどこまでがモデリングで、ゲームの映像を加工しているところがないかを気にする意識が頭の隅に残り、純粋に内容が楽しめなかったのが心残り。


0:51 画面左端であずささんのタオルを持った手がゆっくり降りていく。
この動画のキモは、妥協がないところだと思う。
いや、正確に言えば、妥協はしまくっているはず。
製作者たちの頭の中にあるイメージはもっともっと鮮やかで、もっともっと表現したいことがあって、どうしても表現しきれないところがあって。
それでも限られた時間といま使える最高の(そして信じられないほど高度な)技術で可能な限りの愛を詰め込んだ結果だというのはわかる。
このシーンも手を抜こうと思えば手は動かす必要がないし、カメラを切り替えたときに立ち姿にしてしまえばいいのにそれを良しとしない。その姿勢がありとあらゆる表現に貫かれている。


1:20 ステージが広い ライティングとスモークの幻想的な映像は七夕Pのセンスだろうか。
ここで少しだけ靴に違和感を覚えて、はじめて自作モデルなんだというのを実感。
『フタリの記憶』が流れ始めるが、初見では映像に気をとられすぎて、曲にもその内容が意味するところにも気がつかなかった。


2:00 亜美真美の表情がなんとも亜美真美らしい。
セバスチャンPの自作モデルと今回の動画の素晴らしいところは、アイマス、すくなくともニコマスにおける各キャラクターのPたちが抱く共通幻想を外していないところだと思う。さまざまな表情も、しぐさも、アイドラなどで描かれないものであっても、間違いなくそのキャラクターのものとして俺には感じられる。
台詞がアルファベットなのもPVとしての絵を壊すことなく、ドラマのオープニングとして物語を凝縮している。


2:27 『フタリの記憶』がプロデューサーの作詞であることが表現される。この動画のメインテーマが『フタリの記憶』と『隣に……』が対になった曲で、プロデューサーの想いとあずさの想いに対応している伏線。


2:40 横たわるあずさをカメラがなめて行く。影のつけ方やポーズの力の抜け具合に重力が感じられる。髪がもっと下がって、足の下がもう少しつぶれてもよかったかも。3Dモデルなのか自信がない。横たわるのって難しいと思うし、プロデューサーになるときはカメラが切り替わるから、もしかしたら絵なのかもと思ったり。


スモークと水面とウエディングドレスのレースを重ねたような幻想的な絵造りが気持ちいい。
オープニングの最後で額に入って提示される4枚のトランプは「ダイヤの3、クローバーのA、ハートの0、スペードの7」


3:47 ステージ脇からあずさを見守るPの後ろで、お尻を振りながら小躍りする小鳥さんのしぐさがかわいい。


ジャスト4:00から事務所のシーン
ゲームの絵をそのまま使えば楽だろうに、おそらく全編を通しての統一感のためか、光の表現のためか、事務所の外観まで自作モデル(たぶん)。


4:37 春香がしゃべりだしで一瞬躊躇したあとに息を呑んでから
「あずささん、コンサート、やらないんですか?」
と訊く深刻な表情。


4:45 その様子を見守る律子の手の中で本のページがパラパラとおくられる。
これも「手を抜けるシーン」なのに、律子が「気を取られた」ことを伝えるために。


4:50 律子の視線が机に座るPを「通して」あずさを見ている。
歌い方を忘れてしまって・・・というあずさを見る春香の手にぐっと力が入る。


5:08 小鳥がジュースを持ってくる。ドアを開けるときのわずかにお盆を引いて体を前に出したときの重心。春香ののののワ顔、
「あ、俺はいらないです」とPが言うが、この時点でお盆には4つしか載ってない。


作者達はヒントも入れながら、うまく煙幕も張っているけれど、それはエンターティメントとしてだけではなく、あずさの心の状態を正しく表現するためでもある。


あずさはPが生きていると思っているわけではない。
でももちろん納得したわけではない。
あずさの心は幻影を見ているのではなく、現実に起こることと重ね合わせて「もしも」を描き続ける。


5:12 小鳥さんがお尻でドアを閉める。しぐさもかわいいし、お尻を突き出すときの「えい!」という感じのいたずらっぽい笑顔が体の動きと完全に連動している。
これに対して律子がびっくりした顔と目を閉じてうつむくだけで、(はしたない!・・・もう、小鳥さんってば仕方ないなあ)という心の声が伝わってくる。


5:18 春香があずさのイスを急に回転させる。飛びのくP。だけどこれは春香が乱暴なのではなく、Pがいないことの強調でもある。
あずさは「そこにいるはずのP」に周りを干渉させないために心の中でPを飛びのかせる。
そして、こんなときPに悪戯っぽくなにか言うはずの春香はPに声をかけない。もちろん春香にはPが見えていないから。


5:39 コップから直接飲む律子。ストローを使う小鳥さん。ありとあらゆる仕草にキャラクターを表現するための意思が込められている。いや、もしかしたら作者たちの脳内では自然にそう動くのかもしれない。
トランプについて話す内容も「アナグラム?」これは律子しかいわないし、「ひっくり返してみるとか!」の春香のポーズも公式にはないはずなのに、まさに春香ならこの仕草をするかもしれない、というキャラクター造詣だと思う。
変なポーズを取った後、目を閉じてほほを染めて、恥ずかしがるときのいつもの春香の顔への変化。そしてその陽の表情からあずさを気遣う表情から戸惑いの陰の表情へと対比を見せる。


6:07 扉を開け放したまま出て行くあずさ。その後から出て行くプロデューサーもみんなに声をかけながらも扉は閉めない。もちろんプロデューサーはあずさの心の中の存在だから扉は閉められない。



ふう。
とりあえず通して書いてはいるんだけど、校正とかキャプチャとかに時間がかかるので、続きは明日です。
「【アイドルマスター】3A07 〜Memories are here〜」感想-その2 - 青い月の高原